毎夏約25万人を魅了する富士登山
江戸時代になると、江戸の庶民を中心に「富士講」が栄えました。「富士講」は富士山に登ることを最上の目標とした宗教の団体です。富士講は江戸時代中期から後期に隆盛を極め、富士山は大賑わいでした。現在の富士山駅の東側にある金鳥居から富士山側に少し歩いた辺りは、かつて「御師」の町と言われていました。御師は浅間神社の神職を務めながら富士山に登る道者の案内や宿泊の世話をし、御師の家は宿坊となっていました。道者たちは白い行衣に身をつつみ、北口本宮冨士浅間神社から吉田口登山道で山頂を目指していました。
本ホームページ内の情報について
- ※本ホームページ内の行動時間(歩行時間)等については、一般的な登山者(ビギナー)を想定していますが、各自の体力・経験、気象条件によっても大きく変わります。あくまでも目安と考えてください。尚、コースタイムには休息時間を含みません。
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